万ちゃんのバリアフリーよもやま話 ・・・もしもトイレが消えたなら、公共トイレが消えたなら

 私はバリアフリートイレの適正利用をお願いしていることもあり、公衆トイレや公共トイレに関する記述を中心に、トイレという文字を見つけると、一通り目を通しているのですが、そんな中で、海外の、特にパリの公共トイレの事情を改めて知り、そういえばそうだったなと思い出していました。こんな私ですが、健常な頃、2度ほどパリを訪れたことがあるのですが、確かにそうだったと思い出したのです。と同時に、日本がパリのようなトイレ事情になったらどうなるだろうと思ったのです。

 パリの事情ですが、基本的に公共トイレが少ないのです。一度目の訪問の時は、添乗員さんがいたのですが、ずっと、「ホテルを出るときとトイレを見つけた時には、迷わずトイレに行ってください」と言っていました。訪問先の美術館や飲食店でも必ずトイレに寄って後にするようにしてくださいと最重要事項のようにおっしゃっていました。その時は観光バスによる団体行動だったので、駅のトイレとか、街中の公衆トイレや有料トイレとかは利用する機会はなかったのですが、確かに、パリのトイレ事情は、日本と比べると非常によろしくないという感じでした。自分たちでも不便なはずなのに、私が利用したレストランのトイレは階段を降りた地下の奥まった所にあったのを覚えています。その時に聞いた話ですが、男性の中には道端の物陰で用を足してしまう方もいるとのことでした。もちろん法令違反ではあるそうですが。

 私たちは日頃、訪日客が驚くほどの安心安全快適な公共トイレ環境で暮らしていますよね。一日のかなりの時間を過ごす学校や勤め先ばかりでなく、商業施設や駅、さらには公園等行く先々には整ったトイレが用意されています。ではありますが、ある日突然、突然でなく予告があったとしても、普段利用しているトイレがなくなったとしたら、どうですか?いくつかあるうちの一か所が、故障とかであれば、他のトイレが空くのを待つということができますよね。もしくは他のフロアのトイレを探したりといろいろと対応できます。パリのようにそもそも少ないとかそこ一か所しかないとなった場合は皆さん本当に困りますよね。まともな社会生活が成り立たないことになってしまいますよね。故障など場合は管理者に即時の修理を求めるでしょうし、少ない場合は、増設の陳情などの行動に出るのではないでしょうか。

 私が、以前よりお願いしておりますバリアフリートイレの適正利用ですが、適正利用をお願いしているということは、不適正な利用をしている方がいらっしゃるということです。前述のトイレがなくなったというのと同様です。ユニバーサルデザインの思想で、すべてのトイレが設備的にバリアフリーに整えていただけているのであれば、ハンデを持つ人もその人の持っている可能な限りの努力を振り絞ってトイレを利用しますが、1か所しかないということであれば、トイレが消えたというのと同様なのです。ですので皆さん、トイレのドアの周りに車いすや高齢者、オストメイトなどのピクトグラムが表示してあるトイレは、普通のトイレが利用できない人専用のトイレとご理解くださいますようお願いします。

ばんちゃんのバリアフリーよもやま話 ハイブリッド バリアンに遭遇しました。

 私は、音が、野蛮人を意味するバーバリアンに似ていることもあってかねてからバリア(障壁)な人のことをバリアンと表現してきましたが、先日、愛妻と買い物に出かけた近所のショッピングモールにあるスーパーマーケットでハイブリッドバリアンに遭遇しました。

 以前から、スーパーなどでは、商品選びに集中するあまり、周りが全く目に入っていない感じで、突然ショッピングカートの向きをブンッと変えたりする方はいましたが、今回の方は、右手にスマホ、左手でショッピングカートを押していて、おまけに上着の裾を小さな女の子に握らせて、売り場を回っていたのです。

 そこで、起こるべくして起こった衝突は、ショッピングカートを私の方にブンッと向きを変えたときに起きました。その女性は、私に「危ないですよ、気を付けてくださいね」と、優しく声をかけてくださいました。車イスの私が悪いかのように。

 その事実はちょっとビックリでした。見事なハイブリッドバリアンぶりに衝撃を受けましたし、そうなるのか、これが普通・当たり前じゃないよなと思い、もっとユニバーサルな社会、バリアフリー共生社会に向けて、バリアフリートイレの適正利用の啓発を含めた「ちょっとした意識」を啓発していかなければ、と改めて思った次第です。

万ちゃんのバリアフリーよもやま話 一年ぶりにショートステイしてきました。

 1月31日から昨日まで、早朝から深夜までになるという妻の仕事の都合で、介護老人保健施設ショートステイ(短期入所)していました。施設への入所・お泊りは一年ぶりのことで、脳疾患で倒れた年に、リハビリ病院の後に、リハビリ目的で別の老健に入所していた時のことを思い出しました。
 その時もそうでしたが、入所するということは、短期であれ、そこは居住空間です。いかに快適に生活できるかということになりますよね。そのポイントは施設の様々なハードとソフトです。ハードの面では、さすがに介護目的の施設なので、与えられた個室も含めて生活スペースはフルフラットのバリアフリーで、足元がおぼつかない利用者にとってはとても安心感のある充実したバリアフリー環境でした。
 それもさることながら、ソフトの部分であるスタッフの皆さんの、仕事の域を超えた心遣いが詰まったような日常の生活介助は必要十分な心地良いものでした。具体的には、健康観察に始まり、三食プラス10:00と15:00のおやつ、入浴の介助、加えて、利用者一人一人に合わせた理学療法士作業療法士によるリハビリも行われます。おまけに、三日の日は節分ということで、鬼に扮したスタッフにやわらかいボールをぶつけるという疑似豆まきイベントが行われました。鬼は外と言ったのは娘たちが保育園児のころ以来なので本当に何十年ぶりのことでしたが、頭に浮かんだのは孫たちの顔でした。通常なら保育園でも豆をまいたところでしょうが、コロナ禍の今はどうしているのだろうと、何もできていないとしたら、かわいそうだなと思いつつも、少しにやけている自分に気づきました。
 私は日頃、リハビリと入浴サービスのためにデイケアに通っていますが、今回も入所している高齢者は、デイケアに通ってきている高齢者に比べて、明らかに要介護度が上の方が多いなと感じました。毎回感じることですが、こういう施設のスタッフは、仕事とはいえ、本当にたいへんだなと思いました。介護保険制度は私のところのような家庭ばかりではなく、高齢者や障害者を抱えた家庭にとっては非常にありがたい制度だと思います。いずれにせよ、バリアフリーのキーポイント、基本はヒトなんですね。ハードの充実もさることながらそれを運用するソフトの面はヒトにかかってくると思うのです。
 私は公共的な「バリアフリートイレ」の適正利用を訴えていますが、これもハートワーク、つまり「気づいて気遣うバリアフリー」「心で(描く)(創る)(拓く)バリアフリー」なのです。健常者の皆さんには、決して障壁人(バリアン)にならないでいただきたいのです。「健常者」=「ノンバリアン」でお願いします。

万ちゃんのバリアフリーよもやま話 「啓発キャンペーン始めます!」

 私は身体障害程度2級の身障者で、日常的に車イスを利用して生活しています。ではあるものの、できるだけ一般の健常者の方と同様に、社会の中で社会生活を送りたい、少しでもお役に立ちたい、経済活動に参加したいと思い、健常者の手を煩わせることなく外出する努力をしています。しかし、一般の方と同様には自由に動くことができないのが、高齢者であり、障がい者です。そのことを認識していただき理解していただきたいというのが私のような身体に不自由な部分を持つ者の願いです。私も好き好んで不自由な部分を持ったのではありません。突然の病気でそうなってしまったのです。身体の不自由は、加齢、事故、病気が原因です。つまり、誰にでも起こりうるのです。で、そんな身体で外出する際には不安材料をいくつも抱えながらの外出になります。それは、ちょっとした歩道の道幅、段差、そして横断歩道手前の傾斜地であり、最大の不安はトイレです。

 昨今は、法律や条例で規定されていることもあり、どんな施設にも車イスのまま入室できる「バリアフリートイレ」が設置してあり、備えている設備が明示してあり、「誰でも」という表示が外されていますのでとてもありがたく、外出時の不安が低減されています。しかし、時々、私にとってはたいへん迷惑な行為に遭遇します。それは、本来の目的であるバリアフリートイレとしての利用ではない行為による占拠です。「バリアフリートイレ」に使用中の表示が出ているので、前で待っていると、中から出てくる人が、車イスや杖、乳幼児連れの親子の場合は半分以下なのです。それは、更衣化粧室代わりに使用したであろう人であったり、中で何をしていたのか、同世代の男女のこともありました。この前は、とあるバリアフリートイレにすれ違いに入室したところ、ものすごいタバコの臭いがしました。

 私は、東京2020パラリンピックの開催を契機にした身障者に対する意識の高まりを、ユニバーサル社会、バリアフリー共生社会の実現に向けての絶好のチャンスと受け止め、私の主宰する“ブレックバリア 当事者目線バリアフリー研究所 https://www.break-barrier.com/ ”の当面の活動テーマとして、「バリアフリートイレ」の適正利用について広めることを掲げ、活動しています。

 ということで、健常な国民の皆様には、体に不自由な部分を持つ者の行動の実際について知っていただくとともに理解をして、ハートフルアクトにつなげていただきたく思っています。いわば「気づいて気遣うバリアフリー」であり、「心で(描く)(創る)(拓く)バリアフリー」をお願いしたいと思うのです。これが、「誰にだってできるバリアフリー」であり、「バリアフリー共生社会」「ユニバーサル社会」の基本なのです。

 

 

万ちゃんのバリアフリーよもやま話 言いたい放言 「利用可能なお店が増えました」

 先日、以前から所属しているボランティア団体の会食会に参加してきました。実は、倒れて以来ずっと休会状態だったのに加え、会自体もコロナ禍で食事会は開催できていなかったようなのですが、コロナの感染も落ち着いてきたこともあり、久々に開催することになったということで、お声がけをいただいたので、近況報告を兼ねて参加することにしたのです。ではありますが、いつも通り問題はトイレです。電話で問い合わせたところ、フロアは段差もなくバリアフリー状態ですが、トイレは車いすのまま入れる状態ではないということがわかり、事前に見学させてもらうことにしました。

 見学は、信号もなく、時々事故が起きている横断歩道を渡らなければならないということもあり、家族に同行してもらって、お店を訪ねました。事前に電話していたこともあってか、仕込みの時間にもかかわらず、気持ちよく受け入れてもらいトイレチェックをさせていただきました。

 その結果、トイレは、極端な段差はないものの、車イスでの入室は厳しく、トイレ前の廊下に車いすを置いて、杖歩行で入室することにしました。個室は壁のボードは天井と床でしっかりと固定されていたので、ドアを閉める前に、その壁ボードにつかまって腰掛けることで解決できることが判明しました。その時、店長と思しき人に、普通はどのあたりに手すりがついているのですか?と聞かれたので、壁ボードの扉よりの端の位置をこのあたりにこうついていると安心です、とだけ伝えて、お店をあとにました。

 さて、食事会の当日、妻に車で送ってもらい、お店に入り、会費を払って席に案内してもらうと、お店の人に、会が始まる前に、トイレを済ましておかれませんか、ご案内します、と言われたので、甘えて、トイレに案内してもらうと、この前の店長と思しき人がトイレの前に立っていました。彼が、どうぞと言って個室の扉を開けてくれたので、すっと入室すると、なんと、壁に手すりがついていたのです。「私がつけました。これで問題ないですか?」と、満足げな顔をした店長らしき人。私は「完璧です。助かりました。ありがとうございます」と応じて、感動しながら席に戻りました。単純ですが、お料理もおいしく感じました。今度は家族を連れて来ることができるなと、利用可能なお店が一軒増えた瞬間です。今、バリアフリートイレの適正利用について啓発キャンペーン活動を進めていますが、その後は、個室内の手すりの設置の標準化をテーマにしようかと思いました。

万ちゃんのバリアフリーよもやま話 言いたい放言 「一生の仕事・ライフワークとする」

 皆さんこんにちは!トイレじじいです。いろいろな自治体や事業者等に働きかけていた多目的誰でもトイレの多目的優先トイレ化ですが、先日、国土交通省から返信をもらい、ほぼほぼすべての働きかけ先から返信をもらったことになりました。あっ、東京都からは返信来てないや(笑)まあ、それは想定内ですが。

 とにかく、国交省からは、「調査会からの意見を受けて、すでにバリアフリー法を改正して「高齢者障害者等用便房(バリアフリートイレ)」については、『高齢者、障害者等以外の一般トイレの利用で支障ない人も含めて誰でも使用できるような「多機能トイレ」「多目的トイレ」等の名称ではなく、設置された設備や機能、一定の広さの確保が必要な人が対象となることが伝わる情報提供、表記等とすることが必要である。』として今年の4月に全面施行して「高齢者障害者等用施設等の適正な利用の推進」が、国、地方公共団体、施設設置管理者等、国民の責務と規定して、具体的な施設にその考え方が反映されるよう取組を進めているところだと連絡をもらいました。それについては知らなかったので、全くの私の不勉強なのでしたが、まさしく私が訴えている内容と同じでした。しかも、その内容の啓発キャンペーンの実施も視野に入っているようでした。

 具体的に「ここのトイレがこうだからこうします」といった対処療法的な対応ではなく、その先にある共生社会の実現への国によるはじめの一歩、的な大局的な構えを感じることができ、ワクワクしました。まさしく「バリアフリーの基本は『気づき』と『理解』と『実装』であり、健常者の『実装』は『気遣い』『心のバリアフリー』です」と私が表現している部分ですね。「気づいて気遣うバリアフリー」なのです。根幹的なものなのです。

 この前の木曜日、私の妻の誕生日だったのですが、別フロアに住む娘と底の孫娘がケーキを持ってきてくれて、みんなで夕食を囲みながら国交省の対応の話を交えながら、これまでの活動の経過の話をしていました。東久留米市から始まり、妻の勤め先がある練馬区の対応や近所のイトーヨーカドーのクイック対応などを振り返っていると、妻がひと言「それは、もう、あなたのライフワークだね」と言ったのです。脳出血で一度終わりかけた私の人生ですが、大きな仕事を認識した瞬間でした。命拾いした残りの人生を賭して挑む仕事としては意義のあるものが見つかったのです。

万ちゃんのバリアフリーよもやま話 「私にできるちょっとしたこと」

 私の地元の東久留米市から始め、私の生活圏の企業及び自治体、さらには東京の23区すべてに働きかけた「多目的誰でもトイレの多目的優先トイレ化と優先表示推進活動」ですが、ここのところで、国土交通省や東京都、加えて自民党ほかの各政党の意見受付欄に投稿し、働きかけ活動としては一区切りついたところです。その過程で感じたのは、それぞれの受け止め方や対応のちがいです。中には感動するぐらいにきちんと返答をくださるところもあれば、「バリアフリー法に則ってやっている。ご理解ください」でほぼゼロ回答のところもありました。まあ、多くのところは「担当部署に報告し、今後の参考にさせていただきます」なのですが、そうご連絡をいただいていたイトーヨーカドーさんは地元の東久留米店が、すぐにトイレ出入り口に表示してくださり、少し感動を覚えました。

 また、感動を覚えたといえば、豊島区さんの対応でした。東京都の動きの絡みもあるのですが、「東京都福祉のまちづくり条例施行規則」が改正されるのに伴って、だれでもが利用できる旨の表示から便房内の車いす使用者向けの機能を表示することで、配慮を促す表示に変更するとのことで、その改正に基づき、トイレの各機能を真に必要な人が使えるようにするために、区有施設を所管する各課に対し、広報・周知に努めてまいりますので、理解をと連絡をもらいました。私としては、私の理想的は方向に進み、「多目的誰でもトイレの多目的優先トイレ化と優先表示推進活動」の成果としては満点、いやそれ以上のものとなったのです。

 もうひとつ感動があったのは練馬区さんです。要望を投稿してすぐに検討して連絡しますというメッセージはもらっていたのですが、プレッシャーをと思い豊島区さんの対応を連絡したところ、豊島区さんと同様の連絡をもらいました。さらに、日ごろの活動として「私にできるちょっとしたこと」というパンフレットを作成して、多機能トイレしか使えない人がいることや、一般トイレが使える人は使用を控える「ゆずりあい」についての周知とユニバーサルデザインの普及啓発図るために、区内小中学校やイベントで配布しているとのことでした。私の意図したトイレにとどまらず、その先にある共生社会への歩みを感じました。

 私は日頃からバリアフリーの基本は「気づき(認知)」と「理解」と「実装」ですと記していますが、一言でいうと「心のバリアフリー」ですね。練馬区さんの「私にできるちょっとしたこと」はまさしくそれだと思います。本当にちょっとしたことなのです。誰にでもできるちょっとしたことの積み上げがあれば、共生社会はすぐに実現しそうな気がします。