万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 言いたい放言 「少女が教えてくれました」

 自宅マンションの敷地内通路を電動車いすで、管理員室がある別棟に向かっていると、同じマンションに住む小学生低学年くらいの少女が私に気づいて「あっ、車イスの人が、坂を上ろうとしているよ、ママ」と。私はちょうどその時別棟の入り口のスロープを上るところでした。するとその女の子は、横にいた母親に「ママぁ、あの人一人で上れるのかなあ?」と、話しかけながら、私のことをじっと見ていてくれました。

 私は、彼女の感覚的に受け止めて発してくれたこの二つのフレーズにちょっと感動しました。というのも、すごく素直に思ったことを口にしていると思うのですが、これはおそらく多くの人も感じていることを代弁してくれているのだと思うからです。具体的に言うと、「あっ」という「気づき」と「上れるのかなぁ」という「気づかい」です。先ほど、代弁と記しましたが、私も障がい者になる前はそうだったのですが、普通に目の前に車いすの人や松葉づえをついている人とか一本杖をついている高齢者、また白い杖を使っている目の不自由な方を見かけると「あっ」と思い、「大丈夫かな」と思うと思います。それが自然ですよね。ですので、彼女の素直な言葉を代弁と言ったのです。また、これが「いつでもだれでもバリアフリー」の基本だと思うのです。ところが、大人になるにしたがって、こうした言葉を口にするのには勇気が必要になってくるのです。

 また、その女の子は、「あれっ」と、不思議そうに私のほうを見て声を上げました。私の電動車いすにも興味を持ったみたいでした。そうですよね、足もステップに乗ったままで動いていないのに、車イスは勝手にスロープを上っていったのですから。思わず私は、彼女のママに「よかったらご一緒に近くでご覧になりませんか」と声をかけました。良い機会だと思ったのです。私の声かけに、彼女たちは近づいてきたので、私は、電動を手動に切り替えて、足で漕いで見せて、仕組みを簡単に説明しました。こういう機会は、できるだけ多く作ることができればいいなと思いました。

 私は、すべての人に優しいバリアフリー共生社会の入り口は、こういうところにも見つけることができると思います。一般の方は、福祉機器の情報に触れる機会はなかなかないと思いますので、今回のことは、これを一度に体験できた機会だったのではないでしょうか。私も図らずも障がい者になってしまったのですが、世の中には同じような方がたくさんいて、皆さん、様々な努力をすることで社会生活を送っています。そのさまざまな努力は当事者だけでなく、その周りの人の思いそのものも含まれての努力であり、その努力の総体が設備となると思っています。バリアフリー共生社会の基本は、気づきと知識と設備だと思うのですが、まずは、皆さんの気づきと気づかいから始まるのです。少女に教えてもらいました。