万ちゃん(村上万里)のバリアフリー言いたい放言 パラリンピックに優々共生社会の原型を見た

 「TOKYO 2020」もオリンピックが終わり、パラリンピックが開催中です。この間、世界最高峰の競技会で、トップレベルのアスリートが、メダル目指して全力で競い合ってきています。そんなアスリートの中で、一番、二番、三番の成績を残すことができたメダリストたちのインタビューを聞いていると、どの選手も異口同音に「様々な人に支えられてメダルに手が届きました」と話していました。この「様々な人」とは、具体的に生活や練習を支えてこられた方々をはじめ大会ボランティアを含めた、このコロナ禍の中、開催に尽力したすべての人々のことを指しているのだと思います。

 一方、パラリンピックの競技中の様子に目を転じてみると、競技や選手個々人によっても差はあるのでしょうが、多く目にするのが、ガイド、タッパー、コーラー、パイロットやハンドラーといった競技を行う上でのサポート役が何かしらの障がいを持つ選手のその障がい部分を補うように支えている姿です。こちらは観ている人のだれの目にもはっきりとわかる支え方であり優々の姿です。私は選手がメダルを取ったのであれば、ペアチームの一員としてサポート役の人にもメダルを授与してもいいのではないかと思うほどなのです。というのも、陸上のトラック競技の視覚障害のクラスのガイドなんかは、選手と一緒に走っているわけで、コース取りやペース配分などでは選手以上に競技マネジメントされているのでは、と思うからです。

 私も、病気で左半身にまひが残り、車いす生活となったことで、生活のほぼすべての面において妻をはじめとした家族に支えられ、健康保険、介護保険という公的な支えも受けることで不自由なことはかなり少なく済んで暮らしています。倒れた直後には、医師からは社会復帰は難しいと言われ、妻と、なにくそ魂で見返してやろうと話してリハビリに取り組んできましたが、今は社会に絡もうと、時々遭遇するバリアを打破するべく頑張ろうと思っています。

 この時々遭遇するバリアを一掃し、優々共生社会を実現するためには、それぞれの個性とも言える障がいを持つ人々の可能性と多様性を認めて、障がい者と同じ時間と空間を共有することが何ら特別なことではなく日常であると認識して、ハートフルアクトが全く普通のことになる必要があると思います。改めて構えるのではなくごく自然にそうなってほしいのです。そのお手本ともいえると思うのがパラリンピックの運営であり、競技方法なのです。