万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 言いたい放言 不自由は不可能とは違う

 今回もパラリンピックを観ていて感じたことを記します。新米障がい者の私は、ついついハンディキャップを言い訳に使ってしまいます。ですが、パラリンピアンは誰一人自分の障がいを言い訳にする人はいません。ほぼ同じ障がいを持った者同士の競技会なのだから、当然と言えば当然だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、それでも人間ですから何かのせいにしたくなるのもわかりますよね。健常者の皆さんもそういう時あるでしょう。それが、私のように、それまで飛んだり跳ねたりしていたのが、ある日突然、まともにというか普通に、「歩けない」「握れない」「持てない」となったら、その弱い部分を言い訳の材料にしてしまいがちです。ですが、彼らは、言い訳に使わないどころか「武器」にして、そこを様々な装具で補強して、さらには残った能力を強化して、競っているのです。

 私も、麻痺している左脚のひざ下から足首、足底にかけて装具を付けていますが、まともな歩行ができるようにはなっていないものの、フリーハンドではよちよち歩き、杖を使えば少し速度を上げて歩くことができるようにはなってきました。不自由だからといって不可能を意味するのではないということの証明です。努力と知恵で、障壁(バリア)を乗り越えていくのです。もちろん日常生活の中では、健常者の方の力を借りてブレックバリアを実現していただいてますが、それぞれもできるだけ手を煩わせることがないように頑張っているつもりです。

 ところで、頑張っていたといえば、車イスラグビー車いすバスケットボールでローポインターと呼ばれていた障害の重い選手たちです。ローポインターというのは障がいの重さによって決められる持ち点が低い選手のことですが、障がいの部位によってハンドリングが難しいなどの選手が自分の役割として相手チームのハイポインターのオフェンス参加を車イスの車輪をおさえる行為などによって動きを止めて攻撃しにくくしていたのですが、ポイントゲッターに注目が集まりがちですが、まさしくディフェンスの要でした。彼らの頑張りがなければ、相手のいいように試合が運ばれていたかもしれないなと思うほどです。

 私も常日頃、手を煩わせることがないようにしたいと思っているのと同時に、何か役に立ちたいとも思っているので、社会のどこかに自分の仕事、居場所を見つけて明確な決断のもとに、積極的かつ確固たる行動をとろうと思います。「不自由は不可能とは違う」のですから。声を上げれば、何かが動くかもしれないし。バリアフリー優々共生社会を目指して https://www.break-barrier.com