万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話(言いたい放言) さあ、共生社会へ

 TOKYO 2020 オリンピック パラリンピックも終わりましたが、この間、限りない人間の可能性を目の当たりにして、いくつもの感動と勇気そして奮起をもらいました。そして本当の意味での多様性社会、共生社会へ踏み出す契機となるのではないかと期待できるのではと思います。

 誤解を恐れずに表現しますが、いわゆる健常者の皆さんが「それはちょっと煩わしいなぁ」と思われるような事象は、私のようなハンデを持っている者にとっては間違いなくバリアなのです。私のようにパラリンピックに刺激を受けて、よし、閉じこもってないで外に出ようと思ったハンディキャッパーも多いと思います。すると、あちらこちらでバリアに遭遇して途方に暮れるはずです。そしてその時そのバリアを打ち破る最善の方法は健常者のハートフルアクトなのです。

 ちょっと下世話な話になりますが、少し前に多目的トイレをラブホテル代わりに使っていた芸人さんが話題になりました。私もとある商業施設のだれでもトイレを利用しようとしたら使用中だったので、前で待っていたところ、ほどなく大きなお店の紙袋を抱えた若い女性二人が「やっぱ、それいいよ」と、着替えた服の話をしながら出てきたことがあります。これらは健常者がバリアになったという話です。もちろん、どなたでもご利用いただける多目的トイレですから普通にトイレとしてお使いいただくのはいいのですが、「それはちょっと」ですよね。こういうことなのです。特別に構えて介助をしていただきたいわけではないのです。

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 皆さんがそうだと言ってるのではないのですが、そういう方がいらっしゃるので、世の中には、ハンデを持って暮らしている人もいるとあらためてご認識いただいて、バリアフリー共生社会の実現に向けて踏み出せたらと思います。まずは「気づき」のためのこのステッカー掲出運動を始めていきます。健常者のみなさん、お願いですから、ご自身がバリアにならないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 言いたい放言 不自由は不可能とは違う

 今回もパラリンピックを観ていて感じたことを記します。新米障がい者の私は、ついついハンディキャップを言い訳に使ってしまいます。ですが、パラリンピアンは誰一人自分の障がいを言い訳にする人はいません。ほぼ同じ障がいを持った者同士の競技会なのだから、当然と言えば当然だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、それでも人間ですから何かのせいにしたくなるのもわかりますよね。健常者の皆さんもそういう時あるでしょう。それが、私のように、それまで飛んだり跳ねたりしていたのが、ある日突然、まともにというか普通に、「歩けない」「握れない」「持てない」となったら、その弱い部分を言い訳の材料にしてしまいがちです。ですが、彼らは、言い訳に使わないどころか「武器」にして、そこを様々な装具で補強して、さらには残った能力を強化して、競っているのです。

 私も、麻痺している左脚のひざ下から足首、足底にかけて装具を付けていますが、まともな歩行ができるようにはなっていないものの、フリーハンドではよちよち歩き、杖を使えば少し速度を上げて歩くことができるようにはなってきました。不自由だからといって不可能を意味するのではないということの証明です。努力と知恵で、障壁(バリア)を乗り越えていくのです。もちろん日常生活の中では、健常者の方の力を借りてブレックバリアを実現していただいてますが、それぞれもできるだけ手を煩わせることがないように頑張っているつもりです。

 ところで、頑張っていたといえば、車イスラグビー車いすバスケットボールでローポインターと呼ばれていた障害の重い選手たちです。ローポインターというのは障がいの重さによって決められる持ち点が低い選手のことですが、障がいの部位によってハンドリングが難しいなどの選手が自分の役割として相手チームのハイポインターのオフェンス参加を車イスの車輪をおさえる行為などによって動きを止めて攻撃しにくくしていたのですが、ポイントゲッターに注目が集まりがちですが、まさしくディフェンスの要でした。彼らの頑張りがなければ、相手のいいように試合が運ばれていたかもしれないなと思うほどです。

 私も常日頃、手を煩わせることがないようにしたいと思っているのと同時に、何か役に立ちたいとも思っているので、社会のどこかに自分の仕事、居場所を見つけて明確な決断のもとに、積極的かつ確固たる行動をとろうと思います。「不自由は不可能とは違う」のですから。声を上げれば、何かが動くかもしれないし。バリアフリー優々共生社会を目指して https://www.break-barrier.com

 

 

万ちゃん(村上万里)のバリアフリー言いたい放言 パラリンピックに優々共生社会の原型を見た

 「TOKYO 2020」もオリンピックが終わり、パラリンピックが開催中です。この間、世界最高峰の競技会で、トップレベルのアスリートが、メダル目指して全力で競い合ってきています。そんなアスリートの中で、一番、二番、三番の成績を残すことができたメダリストたちのインタビューを聞いていると、どの選手も異口同音に「様々な人に支えられてメダルに手が届きました」と話していました。この「様々な人」とは、具体的に生活や練習を支えてこられた方々をはじめ大会ボランティアを含めた、このコロナ禍の中、開催に尽力したすべての人々のことを指しているのだと思います。

 一方、パラリンピックの競技中の様子に目を転じてみると、競技や選手個々人によっても差はあるのでしょうが、多く目にするのが、ガイド、タッパー、コーラー、パイロットやハンドラーといった競技を行う上でのサポート役が何かしらの障がいを持つ選手のその障がい部分を補うように支えている姿です。こちらは観ている人のだれの目にもはっきりとわかる支え方であり優々の姿です。私は選手がメダルを取ったのであれば、ペアチームの一員としてサポート役の人にもメダルを授与してもいいのではないかと思うほどなのです。というのも、陸上のトラック競技の視覚障害のクラスのガイドなんかは、選手と一緒に走っているわけで、コース取りやペース配分などでは選手以上に競技マネジメントされているのでは、と思うからです。

 私も、病気で左半身にまひが残り、車いす生活となったことで、生活のほぼすべての面において妻をはじめとした家族に支えられ、健康保険、介護保険という公的な支えも受けることで不自由なことはかなり少なく済んで暮らしています。倒れた直後には、医師からは社会復帰は難しいと言われ、妻と、なにくそ魂で見返してやろうと話してリハビリに取り組んできましたが、今は社会に絡もうと、時々遭遇するバリアを打破するべく頑張ろうと思っています。

 この時々遭遇するバリアを一掃し、優々共生社会を実現するためには、それぞれの個性とも言える障がいを持つ人々の可能性と多様性を認めて、障がい者と同じ時間と空間を共有することが何ら特別なことではなく日常であると認識して、ハートフルアクトが全く普通のことになる必要があると思います。改めて構えるのではなくごく自然にそうなってほしいのです。そのお手本ともいえると思うのがパラリンピックの運営であり、競技方法なのです。

 

万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 スマホ歩きはバリアフル

 今日、髪を切りにいつもの床屋さんに行きました。電動マイカー導入以来、単独で行くようになったのですが、出入り口に設置してある段差スロープが材質のせいか電動マイカーの車輪がスリップしやすく、何度か立ち往生したことがあるので店の外に私を認めたお店のスタッフが迎えに出てきてくれて、後ろから少し押して介助してくれました。もうすっかり私の介助には慣れてくれたようで、本当にありがたいです。

 それで、いつも通りにバリカンとはさみで調髪してもらい、お店の外に出たところで事は起こりました。そのおじさんは、店の外に出てきた車イスの私を見て一瞬立ち止まったのですが、そのあと何にも気づかなかったようにスマホに目を落とし歩き始めたのです。私は車が通る道でもあり、そのおじさんをやり過ごすことにし、その場に止まったままおじさんのほうを見ていたのですが、スマホ見ながら歩いていたそのおじさんは、車イスの私をよけてくれることもなく、ものすごい目で私をにらみながら、私の前を通り過ぎていきました。

 ただ、スマホから目を離して、20センチばかり右に足を運んでくれればいいのに、何の問題もないのに、我が道を行くで、行く先にはなんの障害物もあるわけがないという感じで歩いてきたのでした。スマホ歩きもスマホ運転と同様に危険ですよね。以前も一度コンビニの前で妻を待っていた私の車イスを、スマホ歩きのおじさんが蹴飛ばし、見事に脛をぶつけて痛がっていましたが、危ないのでスマホ歩きは本当にやめましょう。

 これは、バリアフリーうんぬんかんぬん以前の問題でした。それとは逆に、横断歩道を渡る私をかばうように、小学生の登下校を見守る緑のおばさんのように、両手を広げて車のほうに背を向けてくれた方がいました。意識の違いといってしまえばそれまでですが、いつか誰もが優しい共生社会が実現することを願って活動していこうと思います。

万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 バリアフリーってどうすればいいの?

  みなさんは「バリアフリー」という言葉を耳にすると何を思い浮かべますか?施設などの事業を展開している方は「めんどくさいな」「お上もうるさいし、とりあえずやっとくか」という思いが正直なところかもしれません。でも、どうでしょう。スポーツをしていて、転倒骨折したとか交通事故で大怪我とか、また少し年齢を重ねてくると、自然に足腰が弱くなったり病気になったりとかで、元気な頃にはなんの問題でもなかったものが、障壁・バリアと化すのです。まさに「老い病い 明日は我が身だ 要介護」なのです。

 ただ、実際には、ほとんどの方は頭の中で、こうすれば車いすの人でも、と考えていただいているわけですよね。一生懸命に考えていただいて、通常ならバリアになってしまうところをブレイクバリアしてくださっているのでしょう。ですが、そこはやっぱり車イス利用者当人の使用感を確認して、その感覚を反映して活かすことで、本当に有用なバリアフリー設備になると思うのです。

 しかし必ずそうしたことができるとは限らないでしょう。そんな設備を補うものがハートフルアクト、心のバリアフリーなのです。実はこれが一番のバリアフリーだと思うのです。先ほど、設備を補うものがハートフルアクト、心のバリアフリーだと前述しましたが、それは逆です。ハートフルアクトをサポートしてくれるのがバリアフリー設備だと思います。

 誰も病気になりたいとか怪我をしたいとかまた早く年を取って足腰が弱くなりたいとか考えていないはずです。でもそうなってしまうことは、何ら不思議なことではないのです。私もまさか大病して車いす生活になるとはこれっぽっちも考えていませんでした。ただ現実にそうなってしまうと、世の中の様々な所、様々な場面で障壁や不便さを感じるのです。そして思うのです。「世の中に暮らす同じ境遇の人も同じ思いをしているはずだ」と。そして「こうなってしまった自分だからこそできること、こんな自分じゃなきゃできないこと」があるな、と。それは、発言者、仲間の代弁者であり続けること、「すべての人に優しいバリアフリー共生社会の実現」を声高に叫び続けることだ、と。

 

 

 

万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話  軽井沢星野リゾートはハートフル

 この夏の初めに、姪の結婚式のために、軽井沢の星野リゾートに出かけてきました。高原教会で挙式、ホテルブレストンコートで披露宴代わりの食事会、BEB5で宿泊と、娘たちのところも孫たちも含めて一緒で、コロナ禍ながら楽しいうれしい夏休みを過ごしました。

 そのように感じたのも、車イス利用者である私に対するスタッフの皆さんのハートフルな心遣いが快適であったことも大きな要因であります。そういう施設なら当たり前だと思われる方も多いでしょうが、困って立ち往生した瞬間に、さっと数人のスタッフが寄ってきて、何をお手伝いしましょうか?と声をかけてくれるのです。

 不特定多数の人が利用する施設は、バリアフリー新法をはじめとした縛りもあり、バリアフリー度は高いのですが、利用者目線、当事者目線で評価すると、いろいろと改善してほしい点があることは間違いありませんが、その改善してほしい点を補う見事な心遣いでありました。

 私たちハンディキャッパーは、できるだけ皆さんの手を煩わせることなく、行動、生活したいとは思っています。そのためには、皆さんの心遣いを施設設備に反映したハートフルハードは重要です。しかし、それを超えるハートフルアクトは本当にありがたいものですし、バリアをブレイクしてくれるのです。そのお手本が星野リゾートにありました。

 

 

 

万ちゃん(村上万里)のバリアフリーよもやま話 言いたい放言「ハートフルワードに出会いました」

 

編集

 最近、懸案だった電動車いすを借りることができました。これにより、活動の範囲が広がることは間違いありません。単独では、なかなかハードルが高いちょっとした段差やひと漕ぎで乗り越えられないスロープも割と容易にクリアしてくれます。何よりある程度の距離になると張ってくる足が楽です。

 で、昨日、日曜日に診療している耳鼻科に出かけました。順番取りのため、家内が先に出かけ、私は追いかけ一人電動で向かいました。その耳鼻科は、最近できたメディカルビルに入居しているのですが、そのビルの入り口には公道と5センチくらいの段差があり、その段差解消のミニスロープが設置してあり、前輪は難なく上ったのですが、駆動輪はそのスロープの上でスリップ空回りして登れませんでした。すると、ビルの一階にある薬局の前にいた男性が声をかけてくれました。「何かお手伝いできることありますか」と。私は、「ありがとうございます。スリップしちゃってるので、ちょっとだけ押していただけると、上がれます」と応え、彼に押してもらい上がれました。

 この時、彼の的確な問いかけに、はっとして感動したのです。彼の目の前には、立ち往生している車いすがいる、手助けが必要だ!と思って、声をかけてくれたのでしょうが、それが本当に的確なありがたい声かけだったのです。何に困っているのか、何をヘルプするのが一番いいのか、自分の理解と違うかもしれない、じゃあきちんと聞こう。その結果が「何かお手伝いできることありますか」だったのだと思います。それで、実は私とってはこれが一番ありがたいことなのです。もちろん、さっと手を差し伸べていただけるとありがたいのですが、せっかくのお助けが無駄や無意味にならないためにも、ましてや逆効果にならないために、はっきりと確認してから行動していただけると本当にありがたいのです。

 先日、ハートフル・ブレックバリア バリアフリー研究所(URL 

https://www.break-barrier.com/    ) を立ち上げ様々な形で社会に働きかけることを始めました。その中の一つのテーマが「ハートフルアクト」なのですが、答えを一つ見つけたような気がしました。